主人公は土星の衛星探査に向かうリングマスター号の女性船長、シロッコ・ジョーンズ。リングマスター号の乗組員たちが未知の物体を探査するSFであり、一風変わった”ファンタジー”冒険ものでもある。
リングマスター号は土星の衛星軌道上に新しい衛星を発見する。調べてみるとそれは巨大な人工物だった。調査のため近づいたリングマスター号の乗組員たちは奇妙な過程を経て、その謎の物体の中に取りこまれてしまう。そこにはなぜか、神話のケンタウロスやハーピーにしか見えない生物がいるファンタジー小説のような世界がひろがっていた。
なぜ土星の衛星軌道上にこんな世界が存在しているのか。知的生命体が作ったのだろうか? だとしたらなぜギリシャ神話がモチーフになっていたり、人間そっくりな生物がいるのか、という謎が物語をひっぱっていくことになる。
『2001年宇宙の旅』や『宇宙の孤児』、『デューン』など当時の同時代のSF作品の名前が出てきたり、ファンタジーをSF的に説明付けたりというところもおもしろいのだが、それよりもこの小説を異色なものにしているのはセックスやジェンダー、フェミニズムのテーマだ。
見落としようがないジェンダー、フェミニズム的テーマ
まず小説の冒頭部分で、リングマスター号の乗組員たちの恋愛関係、セックスと人間関係の影響が描かれる。
シロッコは作中の未来世界でも珍しい女性の船長であり、そのことでかなりのプレッシャーを感じている。
ファンタジー世界に登場するケンタウロスのような半人半馬の生物には3つの性器があり、地球人の女/男という区別は当てはまらない。
ファンタジー世界に”転生”した影響で、乗組員の一人であるギャビーは同性であるシロッコを猛烈に愛するようになる。シロッコとギャビーの同性同士のセックスも描かれるのだが、それはたんにロマンチックなものではなく、シロッコはどうしてもギャビーに対して自分も愛していると応えることができない。それでもギャビーに対して強い絆を感じ二人で危機を乗り越えていく。
シロッコはビルと付き合っているのだが、冒険に出発するのを反対されてもけっして恋人に譲歩したりせず、自分の意思を貫き通す。
謎の存在に妊娠させられていることがわかったとき、シロッコは即座に中絶を決断する。乗組員の男性医師がもう少し様子をみてはどうかと提案するのだが、彼女は頑として譲らない。自分の体への決定権がなによりも優先されるのだということが強調される。
ファンタジー世界の謎を解くという目的へと一心不乱に進んでいくシロッコの姿は、たいていは筋骨隆々な男が主人公であるヒロイック・ファンタジーの主人公のようだ。
このように、1対1の女と男という異性愛規範や、女らしさ/男らしさをかく乱する要素にこの小説は満ちあふれている。ヴァーリィの他の作品には「」それなのに、巻末の解説では一言も触れられていない。ジェンダーがテーマになったSFといえばル・グウィン『闇の左手』など先例もあったはずなのに、なぜだろうか?
wikipediaからの情報だが、”1976年のワールドコンで「フェミニスト・パネル」を開催しようとした際に大変な抵抗にあった”(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%9F%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%83%88SF)らしい。当時のことはわからないが、SF読者も評論家もフェミニズムに親しんでいたとは考えにくい。本作のジェンダーやフェミニズム的テーマはあえて無視されたというより、まったく認識できていなかったんじゃないだろうか。知らないことは認識できない。認識できないことは論じることもできない。フェミニズム批評というものがなければ気づくことさえできないことが存在しているのだ。
SF的に説明されるファンタジー世界
ケンタウロスやハーピーのような生物たち、神話かファンタジー小説のような世界はすべて合理的な説明がつけられる。しかしそれはファンタジーを解体したりパロディをやりたいというよりも、エキゾチックな世界とシロッコたちのハラハラドキドキの冒険譚の書きぶりからは作者の異世界冒険ものへの愛が感じられる。
これもまたwikipediaからの情報になってしまうが、ヴァーリィはヒッピームーブメントの真っただ中を通り抜けているらしい。
セックスが人間関係に及ぼす影響や、愛とはなんなのかというシロッコが巡らす考察、『指輪物語』がヒッピーや当時の大学生のあいだで大流行したことなど(シロッコが小説の最後で任される役割はガンダルフそのものだ)、ヴァーリィ自身の体験やファンタジー愛が濃厚に反映された小説でもあると思う。
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