ツイッターのタイムラインにふかりふかりと流れてきたツイートがきっかけで読んだ。
「王様の背中」というショートショートに近い短い童話集とゲーテの作を翻案したらしい「狐の裁判」が収録されている。
前半の「王様の背中」は、教訓やオチもないシュールな童話で、王様がひたすら背中を痒がるのを動物たちが見つめてくねくねするだけだったり、桃太郎が産まれてきた桃がどうなったかを描いてたり、『冥途』などのイメージ通りの味わいがあって楽しめた。
後半に収録されている「狐の裁判」は趣ががらっと違っていて、その証拠に「王様の背中」の「序(はしがき)」では「この本のお話には、教訓はなんにも含まれておりません」と書いていたのに、「狐の裁判」の「おくがき」では「どんなに正しい者でも、どんなに強い者でも、智慧がなかったら、悪者に勝つことが出来ないという教訓であります」と書いている。
「狐の裁判」はヨーロッパに古くからある民話で、百閒はゲーテの詩をもとにしたらしい。ネットで調べた限りでは、悪賢い狐が悪行三昧を繰り広げるけど王様も動物たちみんなを騙して宰相にまでなるという筋書きはそのままらしい。
童話や昔話には残酷な話も結構あるけど、百閒の描くライネケ狐は、なんの理由もなく純粋に傷つけたいから他人に暴力を振るい、嘘をついて陥れ、かわいい兎や小鳩をつかまえて食い殺してしまう。さっきまで愛想よく会話してた相手なのに殺して食べてしまうし、罪悪感は微塵もない。しかし、自分の身が危なくなるとそこは普通に狼狽して恐怖したりする。まるで動物版『アメリカン・サイコ』というかんじ。
狐は裁判にかけられても嘘八百で言い逃れ、力はあるが頭が悪い熊を騙してひどい目にあわせ、狼との決闘ではどんな汚い手を使ってでも勝つ。ライオンの王様は欲望に目がくらんで公正な裁判ができない。狐は極悪非道だけど、王様も他の動物たちも本当に賢く清廉潔白であれば狐を懲らしめることができたわけで、お人よしかもしれないけど無能な動物たちに知恵と図太さで利用し勝っていく狐の姿は痛快さも感じる。
しかし内田百閒といえば『冥途』や『旅順入城式』のイメージしかなかったので、狐の生々しい悪行ぶりに驚いてしまったのだった。
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