「アクターズ・スタジオ・インタビュー」にスピルバーグが出演したした回で、「あなたの父はコンピュータサイエンティスト、母は音楽家、もし彼らが宇宙人に遭遇したらどうやって意思疎通を図ろうとするでしょうか? コンピュータで音楽を作って話せるようにするんじゃないでしょうか」と訊かれ、スピルバーグは「いい質問だ」「(『未知との遭遇』が)父と母のことだったとはいまこの瞬間まで気づいてなかった」と応えている。
スピルバーグ監督の母リアと父アーノルズに捧げられた本作『フェイブルマンズ』は、一人の少年が幼少期に初めて観た映画から自主映画を撮っていた学生時代、映像業界に入る直前までを描いた半自伝的作品だけど、父と母がどのような人たちだったかを描くことにも重点が置かれている。
少年時代から映画作りの才能を発揮していたサミーだが、家族でのキャンプ旅行のフィルムを編集しているうちに、母が父の親友であるベニーを愛していることに気づいてしまう。また、卒業記念のビーチでのイベントを撮影することで、映画は真実だけを描くわけではないことにも気づかされる。
母親は家族のために自分を押し殺すことをやめ、ベニーのもとに帰る。父親は家族のためといいわけをしながら自分の才能を発揮できるコンピュータサイエンスの仕事のために引っ越しを繰り返し、そのせいで妻はベニーと引き離され、子どもたちの生活も変えてしまう。息子であるサミー=スピルバーグはそんな両親を断罪することなく許す。なぜなら自分自身も大学を中退し、父の望みであるエンジニアにはならず、映画監督になる夢を追うことにしたから。3人とも、自分の理想のためであれば家族でさえ犠牲にする似た者同士なのだ。
タイトルの「フェイブルマンズ」(フェイブルマン家、フェイブルマンたち)とは、フェイブルマン家の似た者同士である父と母と息子、、芸術家の宿命を説く叔父のボリスであり、fable(作り話、寓話)を生業とする芸術家たち、映画作家たちを指している。
闇を貫く光、映画が真実を暴くこともあれば逆に覆い隠すこともある。父、母、映画、映画と切り離せない自身の人生、映画芸術、それらを断罪することなく肯定することで、自分自身や映画芸術も肯定し、優しい目線で人生を振り返っているように感じた。
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