シェイクスピア『ハムレット』のもとになったデンマークの伝説をロバート・エガース監督が映画化。
エガース監督は『ウィッチ』でキリスト教道徳の外側にある世界を、『ライトハウス』でマッチョな男同士の対決を描いていたけど、本作ではその両方が含まれている。
バイキングの世界が舞台なので、主人公アムレートもバーサーカー(狂戦士)となって村を襲撃し、財産を奪い大人は奴隷として売り、子どもは容赦なく皆殺しにする。キリスト教がやってくる前の世界、これが彼らのあたりまえの生活であり、家族や仲間を大切にする一方で笑いながら子どもを殺すことができる。もちろん現代からみれば許されないことだけど、こういうことが世界からなくなったわけではない。21世紀になっても戦場ではまったく同じことが起きている。子どもたちが閉じ込められた家に火を付けてみなごろしにしてしまうシーンは生々しさを感じる。『ウィッチ』で魔女が住む森のように、光の外には常に闇があるのだ。目をそらしてもなかったことにはできない。
映画の冒頭、アムレートの父である王は戦いで深手を負い、息子に王座を継承するための儀式(イニシエーション)を行う。おそらく幻覚作用のある蜂蜜酒を飲まされ、巨大な一本の木に先祖たちの死体がぶらさがっているヴィジョンを視る。魔術師(ウィレム・デフォー)と父親に導かれて、王として男としての義務、戦って死ぬこと、もし父親が殺されたら何があっても復讐することを誓わされる。この誓いは血みどろの悲劇につながる呪いでもある。
以下、ネタバレを含みます。
復讐のため奴隷に身をやつして叔父が治める土地に潜入し、やっとの思いで母親である王妃(ニコール・キッドマン)に再開する。ところが母親から、王妃である自分は元は奴隷であり、アムレートは父王にレイプされて産まれた子で、父の暗殺を計画したのは母親自身だったと聞かされる。極悪人だと思っていた叔父と父親は似たり寄ったりの存在だった。真相を知ったアムレートはいったんは復讐を諦め、将来女王になると予言されたオルガ(アニャ・テイラー=ジョイ)と別の土地で再出発しようと船に乗る。しかし船上でオルガが妊娠しているヴィジョンを視たアムレートは、叔父を生かしておいてはオルガや子どもたちはいつまでも追手に怯えなければならないと確信し、叔父のもとに戻る。母親と腹違いの弟である幼い王子、一族郎党を皆殺しにし、最後は火口近くで叔父と対決する。ギリシャ彫刻のような筋肉隆々の全裸の二人が、溶岩に照らされながら殺しあう姿は『ライトハウス』での対決を連想する。アムレートは叔父王の首を切り落とすが自分も胸を剣で貫かれ絶命する。
復讐は遂げたが、オルガや子どもたちとの幸せな暮らしは叶わず、自分が愛されずに生まれたということも知らされ、拷問され、母親も弟も自ら殺すことになった。父親から、父親の父親、さらにそのまた父親から代々続く家父長制の呪いの結果といえるが、エガース監督はアムレートを残酷な運命のなかに突き放すだけではなく、オルガと子どもたちが安全にいる姿とバルハラへ迎えられる自身の姿のヴィジョンを視せることで、慰めも与えている。
コメント