超豪華クルーズ船に乗る金持ちたちに対して従業員がほとんど奴隷のように奉仕する、そのコントラスト。金を腐るほど持っているかどうかだけがこの違いを生んでいる。大富豪と、彼らからのくだらない願いを叶えるためのブルシット・ジョブで大金を稼ごうとする従業員たち、さらに船室の下の方で掃除や料理やエンジンを動かしたりエッセンシャル・ワークに従事するクルーたちが乗るこのクルーズ船は社会の縮図になっている。
一見上品そうな老夫婦が実は武器製造会社の経営者で、自分たちが人殺しの道具を売ることで大金持ちになってることや、脳梗塞で話せないテレーズに対してまったく同情心がない様子など、サイコパスぶりがほとんど妖怪にみえる。
マルキシストであるアメリカ人船長(ウディ・ハレルソン)と、資本主義者であるロシア人の大富豪との引用合戦で、「資本主義社会における自由とは、常に古代ギリシャの共和国とほぼ同じままであり、奴隷所有者の自由だ」というレーニンの言葉を引用する。大金持ちたちの振る舞いはまさに奴隷所有者のようだ。
映画の第二幕で、ある事件が勃発し船は難破して、島に流れ着いた乗客と従業員の力関係が逆転する。
無人島に隔離されたことでそれまでの関係が逆転するといえば、1974年のイタリア映画『流されて…』(主演のジャンカルロ・ジャンニーニはダニエル・クレイグの『007』シリーズや『ハンニバル』にも出ている)を連想する。2002年にガイ・リッチー監督でリメイクされた『スウェプト・アウェイ』では主演を息子のアドリアーノ・ジャンニーニ、マドンナが演じている。大金持ちの人妻であるラファエラは使用人であるジェナリーノを見下して同じ人間扱いしていないが、無人島に遭難することで主従が逆転する。逆転してからの展開は男尊女卑ファンタジーというかんじで、しかもラファエラは”調教”された結果ジェナリーノを愛するようになる。『デカメロン』に同じような話があって、それをもとにしているのかもしれない。リメイク版では主従が逆転した後の描写や結末が少し現代的になっていた記憶がある。
『逆転のトライアングル』でクルーズ船に乗る前のカールがヤヤに「おれに惚れさせてみせる」と言ってたけど、たぶん『流されて…』の展開を仄めかしている。が、難破したあとに逆転するのはカールとヤヤの関係ではなく、トイレ係であるアビゲイルも含めた三角関係である、というひねりが加えられている。
トイレ係だったアビゲイルが遭難後は権力を握り、クルーズ船に乗る前は男女平等にこだわっていたカールが遭難後はアビゲイルに性的に奉仕することで有利な立場を得ている。金を持っているかどうか、無人島でのサバイバル能力があるかどうか、どちらにしろ権力を握っているものが性的にも権力を握る。『流されて…』では男女の愛とセックスを巡る権力闘争に力点が置かれていたといえるが、『逆転のトライアングル』ではより根源的な、権力のあるなしから生じる格差を描くことに焦点が当てられている。
結末ははっきりとは描かれないが、どちらにしてもアビゲイルにとっては悲劇が待っているのは間違いなくて、現実に存在する残酷な格差を観客に焼きつけて映画は終わる。
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