ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督の『メッセージ』みたいな、家族と人生についてシリアスに語るSFにすることもできたはずなのに、常にばかばかしい笑いを忘れず、涙と笑いが50/50……いや60/40になっているのがこの映画を特別なものにしている。
アメリカでは公開後から評判が高まり異例のロングランになったらしい。2022年3月11日公開の本作が、日本での公開がほぼ1年後の2023年3月3日になったのは、アカデミー賞でノミネートされることを見こんでわざわざ公開を遅らせたのだ、という噂があるけど、もし本当だったら配給会社の狙いは大当たりだった。アカデミー賞最多ノミネートになっただけでなく、英国アカデミー賞、ゴールデングローブ賞、全米映画俳優組合賞、全米脚本家組合賞、放送映画批評家協会賞などなど、さまざまな映画の賞でノミネートされたり賞を取っている。
公開日が遅れたせいで映画の内容についての断片がどうしても目に入ってくる。いよいよ日本で公開になって本編を観ても、驚くようなところがなくなってしまってるんじゃないかとちょっと心配してたんだけど、そんな心配を吹き飛ばすおもしろさだった。
すべてを飲みこむブラックホールのようなものに変化するある物体が出てくるんだけど、その物体の選び方に代表される詩的ともいえる飛躍のセンスや全編にわたるギャグ、カンフー・アクション、娘ジョイの並行宇宙での姿、アートワーク、それぞれに込められたアイデアの量やエネルギーがとんでもなくて、さまざまな映画賞のノミネートや受賞も納得させられる。
本作の主人公エヴリン・ワン(エブリシングだからエヴリンというネーミングのセンス)が並行宇宙にいる自分たちとつながることで、家族と人生の意味を探求していく。最近のMCUや『スパイダーマン:スパイダーバース』でも大々的に扱われてるマルチバース(マルチ・ユニバース)、SFではお馴染みの並行宇宙、コミックやアニメでもたびたび扱われるアイデアだ。
別の宇宙の自分とつながる(バース・ジャンプと呼ばれる)ためには、突拍子もないバカなことをやらなくてはいけないという設定になっていて(たとえば他人が嚙んだあとに机の下にくっつけたガムを食べるとか)、それがいちいち笑えて、しかもただおもしろいだけじゃなくて、確定申告のための領収書まみれになってるエブリンと、並行宇宙で女優として成功しているエブリンの人生が交錯するのを目の当たりにすると人生についても考えさせられて、笑いながら涙してしまう。
香港ノワールな並行世界や家族の問題などシリアスな要素もあるけど、それと同じくらいの比重で笑いが存在している。とくにバース・ジャンプのためにトロフィーが使われるところと、『レミーのおいしいレストラン(原題:Ratatouille)』のパロディは声を出して笑ってしまった。
全並行宇宙を滅亡から救うという荒唐無稽な話ではあるんだけど、税金の問題も常に切実な問題としてあり続ける。ちゃんと税金を納めないとお店と土地を差し押さえられてしまうという危機と、父や娘との関係の危機、全並行宇宙が滅亡するという危機、すべてがより合わさるように語られていく。
ヴィクトール・E・フランクルは『夜と霧』で、絶望的な状況を生き延びるためにユーモアの重要性を説いた。アウシュビッツ収容所での体験と比べられるような状況はないような気もするけど、でも人は自分や人生に絶望してすべてをブラックホールに投げこんでしまうことがある。そういうときに自分や状況から少し距離を置き、斜めから見て笑いに変えられるかが重要になってくる。
笑いがブラックホールから脱出する力になると、ぶっとんだSF設定で家族の物語を描きながら最初から最後までギャグまみれのこの映画が教えてくれる。
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