ヒーローがヒーローであることを取り戻す物語、のはずなんだけど/『マーベルズ』感想・考察

映画

キャプテン・マーベルことキャロル・ダンヴァース、配信シリーズ『ミズ・マーベル』で登場したミズ・マーベルことカマラ・カーン、長編映画『キャプテン・マーベル』と配信シリーズ『ワンダ・ヴィジョン』で登場したモニカ・ランボー、3人の女性ヒーローとクリー人ダー・ベンとの戦いを描く。

観終わった直後は、この映画がどういう物語を伝えようとしているのか理解できなかった。半日くらいたって予告編でヒーローについて語られているのを思い出して、「あれ? そんな映画だったっけ?」となったのがきっかけで、この映画が「ヒーローがヒーローであることを取り戻す物語」だったんだと気づいた。

カマラはキャプテン・マーベルを崇拝してて、キャプテン・マーベルと自分がチーム・アップする同人誌も描いている。モニカも、かつてはカマラと同じように”叔母さん”であるキャロルのことを慕い憧れていた。しかしキャロルとの再会を果たしたモニカの表情はなぜか暗い。

モニカが少女時代に持っていたキャプテン・マーベルへの憧れが消えてしまったのは、キャロル=キャプテン・マーベルが人々を救うために宇宙に行ってるあいだに、モニカはサノスの”指パッチン”で消滅させられ、モニカの母は癌で娘やキャロルに看取られることなく死んでしまって、モニカが復活したときにも、「すぐに戻ってくる」と言ってたキャロルは側にいなかったからだ。

キャプテン・マーベル自身も、自身の行動が原因でクリー人の内戦をひきおこしてしまい、クリー人から殺戮者、殲滅者と呼ばれヒーローである自覚を失っている。これで、キャロルに復讐を誓うクリー人のダー・ベンが今回のヴィランである理由も理解可能になる。

映画が終盤に差し掛かったあたりで、キャロルの口からなぜ地球に戻らなかったかの理由が語られる。それを聞いてモニカのわだかまりも消える。カマラもキャプテンを崇拝するだけでなく対等なチームの一員としての自覚が芽生える。これまでは能力を使うと入れ替わってしまう現象のせいでばらばらに戦っていたけど、わだかまりが消えたおかげで入れ替わり現象を利用した戦い方ができるようになり、ついには3人が協力することでダー・ベンを打ち負かす。

こうして整理すると、この映画がヒーローがヒーローであることを取り戻す物語であることがはっきりするけど、最初観た時には気づけなかった。

キャロルとモニカ、2人の関係は松本大洋『ピンポン』のペコとスマイルと同じだ。自身を失ったヒーローと、ヒーローを待ち望んでいたのに裏切られたもの。キャロルが地球に戻らなかった理由を説明し、モニカが受け入れるシーンはこの映画でいちばん感動的なシーンだったけど、唐突であっさりしすぎている。

カマラがキャプテン・マーベルと対等に話せるようになるのも、やはり唐突で、キャロルとモニカの関係修復のついでみたいだった。

時空連続体を壊すようなことをしなくても、クリー人が住む惑星の環境を復活させる方法はあったんじゃないかと思えるし、キャロルが太陽を復活させた方法も、たんにキャロル自身が思いつかなかっただけだった。

すべてはこの映画のテーマに関係することなのに、ぜんぜんドラマチックに盛り上がらない。そのせいでテーマに気づけなかったのだ。

クレジット前のシーンで、カマラはニック・フューリーを真似てケイト・ビショップをリクルートする。予告編でもニック・フューリーのセリフが引用されていた。配信シリーズである『ファルコン&ウィンター・ソルジャー』でも描かれたように、MCUはフェイズ4以降、なにが善でなにが悪か、相対的で混沌とした世界を描いてきた。それはよりリアルな現実を反映したものといえる。そんな世界でヒーローとはどういう存在なのかを描かれていくのだとしたら、この映画のテーマは今後のシリーズにとってかなり重要なものになる。カマラのニック・フューリーのモノマネが、たんなるセルフ・パロディや配信シリーズの予告に過ぎないということでなければだが。

今後のMCUにとっても重要になるかもしれない、ヒーローがヒーローであることを取り戻す物語というテーマを意識しながらこの映画をもう一度観なおしてみたら、もしかしたらよりおもしろく観れるかもしれない。

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