特権階級を侵食する”男同士の絆”/『ソルトバーン』感想と考察

映画

Amazon Primeにて配信。『プロミシング・ヤング・ウーマン』のエメラルド・フェネル監督、バリー・キオガン主演。

強烈な格差

奨学金を得てオックスフォードに入学した主人公のオリヴァー。周囲は上流階級、金持ちの家の子女ばかりで、知り合いがいないのはオリヴァーと変わり者の数学の天才くらいしかいない。一方、由緒正しい名家の息子でルックスも性格もいいフィリックスは人気者で、彼のまわりには常に友人が集まっている。

ある日、遅刻しそうなフィリックスをオリヴァーが助けたことで二人は知り合う。フィリックスは自分の生い立ちとはかけ離れたオリヴァーの身の上話を聞かされ、彼に”リアルさ”を感じる。二人はだんだんと親友同士になっていく。フィリックスは夏休みにオリヴァーを実家の屋敷があるソルトバーンへ招待する。

訪ねて行ったフィリックスの生家は屋敷というより城のような大きさで、過去のイギリス国王とも由緒のある家具、シェイクスピアの初版……オリヴァーは朝食時の作法もわからず身分の違いに圧倒される。

しかし、このあたりからオリヴァーがたんにフィリックスとの友情だけを求めているのではなくて、彼の持つ権力、財力、家族の中に食いこみ、できれば奪い取ろうとしていることがわかってくる。

普通に生きていれば絶対に乗り越えられない経済格差をどんな手を使っても乗り越えようとするという点では『パラサイト 半地下の家族』と同じだが、本作は経済格差という社会問題を主題にしたものではない。なぜなら、オリヴァーが語っていた生い立ち――父親はドラッグの売人で母親は依存症という話――が実は真っ赤な嘘で、平凡な中流家庭の出身だったことが暴かれるからだ。生まれの違いによってあらゆる格差が生じてしまう不公平を主題にするなら、主人公が実は中流家庭出身だったというツイストを入れる意味がない。

本作で監督が描きたかったのは、格差という社会問題ではなく権力への強烈な執着だったのだろう。

オリヴァーが求めるもの

映画の冒頭のオリヴァーのモノローグにもあるように、男性同士のラブストーリーでもない。『太陽がいっぱい』のように男性が男性の権力を奪うために一体化しようとする物語だ。『太陽がいっぱい』も本作も、どちらも男性同士の権力の移行が同性愛的(ホモエロテイック)に描かれているというのは、最近読んだ『男同士の絆』で論じられていることそのままだ。

イギリス小説の批評をとおして権力への渇望が同性愛として表出することを論じていたが、『テオレマ』や『太陽がいっぱい』だけでなく、監督が直接参照していないとしても過去の映画などを通して間接的に、この映画にはゴシック小説やイギリス小説の影響が流れ込んでいるはずだ。オリヴァーという名前(『オリヴァー・ツイスト』から?)とか、フィリックスの家族の話をしているときに「イーヴリン・ウォーみたい」「うちの一族がモデルなんだ」というセリフがあったりする。

オリヴァーが求めるのは愛ではなく、フィリックスが持っている権力や財産で、そのために彼と一体化しようとする。屋敷に来たオリヴァーが湯船でマスターベーションしているフィリックスを目撃して、湯船の精液交じりの残り湯を飲むシーンや、新しい墓のまだ柔らかい土の上でオリヴァーが全裸になり、まるで地面の下のフィリックスを犯そうとするかのように腰をふるシーンはそれを象徴している。

オリヴァーによりすべてを奪われる側のフィリックスや彼の両親は、善人ではないが極悪人というわけでもない。フィリックスの母親は依存症のパメラを屋敷に住ませたりしているが、それは心の底からの親切心や同情からではない。その証拠に、パメラの扱いに困るようになるとやんわりと屋敷から追い出し、そのあと彼女があっさり死んでしまっても気にする様子はない。階級の違う人間は珍しいペットの動物くらいにしか思っていない。悪意のない邪悪さ。フィリックスのいとこであるファーリーはオリヴァーをいじめるが、根っこのところには育ちの良さからくるおおらかさがある。ピュアさと表裏一体の愚かさ。

生まれが違うというだけで生じる経済的、文化的格差は強烈で、フィリックスたちのような上流階級の人間はこの社会の食物連鎖の頂点捕食者だ。しかし彼らは生まれつきなんでも持っているので、他人を騙して奪い取ったり、人を陥れたりという発想自体がない。育ちの良さからくるおおらかさやピュアさが弱点になる。オリヴァーはそんな頂点捕食者の唯一の天敵、盤石なはずのシステムのセキュリティーホールを突くハッカー、彼らには免疫のないウイルスだ。

どこまで計算?

安物の服を着ていたりタキシードをレンタルしていたのも、中流家庭出身であることを隠すための演技だったのだろう。しかし、どの時点からどこまで計算していたのだろうか。オックスフォードに入学した日にフィリックスを見たときから計画は始まっていたのだろうか? あるいは入学前から獲物の見当をつけていたのだろうか。不確定要素が多すぎて、家族を皆殺しにして遺産相続者に収まるというところまで計算していたとは考えにくい。

オリヴァーはちょっと病的なレベルの嘘つきであるようだ。オリヴァーの両親に会う場面で母親はオリヴァーは賢すぎて友達がいないといっていたが、おそらく幼い時からずっと嘘をついていてそれが原因で友達を失ってきたのだろう。

オリヴァーが見せた涙や感情のうちどれが演技でどれが本物だったのか。オリヴァーがフィリックス殺害の直前に言ったように「すべては演技」だったのかもしれない。同時に、オリヴァーの言葉を信じるなら、フィリックスを愛していたということも本当なのだろう。しかしその愛は相手を飲みこみ完全に一体化しようとするような愛だった。

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