不条理で残酷で全知全能な神としての母/『ボーはおそれている』感想と考察

映画

『ヘレディタリー』や『ミッドサマー』のアリ・アスター監督の長編3作目。前2作はホラーに分類されるが、本作はダークなコメディ要素が強い。こんなことあったらいやだなと思うようなことが極端化してボーに降りかかるので、観ているほうは笑ってしまう。しかし、主人公のボーにとっては純粋な恐怖の連続だ。コメディでもありホラーでもありミステリー(首なし死体が出てくる)でもある。簡単にジャンル分けできない作品になっている。

フェリーニの『8 1/2』のように幻想的というかシュールというか非現実的な要素も混じりながら一人の男の人生が、文字どおり誕生の瞬間から最期までまるまる語られる。『8 1/2』の主人公グイドには自分を愛してくれた女性や愛人たちなどの甘美な思い出もあったが、ボーにはそんなものは存在しない。すべてがトラウマに結びついている。

ボーがおそれているもの

ボーがおそれているものは2種類ある。1つめは不安障害、パニック障害的な恐怖だ。もし大事なフライト時間に寝過ごしたら? とか、隣人とのささいなトラブルがエスカレートしてしまったら? 鍵をかけ忘れて家を出てヤカラに自宅を占拠されてしまったら? 癌になるのでは? 薬の副作用で死ぬのではないか。ニュースに出てきた通り魔に出くわして刺されるのでは?

ボーがおそれているもう1つのものは母親だ。母親が自分の人生をすべてコントロールしているのではないか。過去だけでなく未来に起こることさえすべて母親の筋書きどおりで、そこから逃れることができないのではないか? 母親が自分のすべてを監視していて、自分に親切にしてくれる人間、初恋の女性との出会いさえも母親が仕組んだことなのでは? 母は常に自分を愛し心配してるというが本当は憎んでいるのでは? 父親は本当に死んだのか? 自分の出生にはなにか秘密があるのでは?

ボーにとっておそろしくてたまらないこの2つが絡まりあい、映画の初めから終わりまでひたすら彼に降りかかり続ける。

ボーの母親モナは巨大企業のCEOで、ボーのためのアレルギー薬の開発、発達障害の治療薬、にきび薬、ボーが食べている冷凍食品、住んでいるアパートの住宅事業、彼の人生に関わるものすべてを事業としている会社らしい。アレルギー薬などのパッケージにはボー少年の顔が使われている。ティーンエイジャーのボーの顔はどこか人工的な感じで違和感があるが、ボー少年の顔がパッケージに使われているのではなく、パッケージ用に加工された画像の顔が、回想の中の自分の顔になってしまっているのだ。母親の事業によって自分の少年時代が乗っ取られてしまっているというボーの恐怖を表しているのだが、ぞっとするのと同時に笑えてきてしまう。

残酷な神としての母

母親とボーの関係はまるで神と人間の関係のようだ。とくに旧約聖書の不条理で残酷な神。神が全知全能であるということは、人間に降りかかる悲劇、戦争、災害、すべての苦痛と死は神が意図したものなであるということになる。それでいて神は人間を愛しているという。全能である神の裏をかいてその運命から逃れることは不可能だ。人間はときに神を疑い、「神は死んだ」といってみたり、ひれ伏して赦しと慈悲を乞うたりする。

モナは息子が住んでる環境、出会う人物、すべてをコントロールしてボーを愛し守っているといいながら、同時にひたすらひどい目にあわせる。”父親”に引き合わされたあとボーは母親の足元にひれ伏し泣いて赦しを乞う。モナが自分は息子を憎んでいると告白したときボーは思わず彼女の首を絞めて殺そうとする。

車にはねられ連れて行かれた家で、ボーは自分を監視するカメラを見つける。自分を映した録画映像を見ながらリモコンの巻き戻しボタンを押すと自分の過去の姿が映し出され、早送りにするとなんと自分の未来の姿まで現れ、映画は予告されたその映像の通りに進む。映画の冒頭では子どもが遊んでいたおもちゃのボートが転覆し、映画のラストシーンを予告している。

全知全能の神という観念から決定論が導かれる。全知であるということは未来のある時点に何が起こるか神はあらかじめ知っていることになる。その神の裏をかいて、人間の自由意志によってその出来事を変えることはできない。

この映画はボーの人生を始まりから終わりまでをまるごと描いている。映画だから始まった瞬間に結末は決まっている。だから映画の冒頭にラストシーンを予告することもできるし早送りもできてしまう。全知全能の神のごとき母親に支配された人生は、筋書きや登場人物、ライティング、カメラアングル、すべてがコントロールされた一本の映画と化してしまうのだ。

アメリカでの興行収入はあまりよくなかったらしいけど、願わくは、これからもジャンルの枠をぶち壊して、もっと自由に映画を作ることができますように。

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