他者を救うことは可能か? 救いをめぐる四角関係/『ザ・ホエール』感想【ネタばれあり】

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「神巨(おほい)なる魚(うを)を創造(つく)り給(たま)へり」
                 ――創世記[一・二一]

メルヴィル『白鯨(上)』八木敏雄訳(岩波文庫)p.24

「海の鯨も
神の声に従う」
                ――『ニュー・イングランド初等読本』[一七二七年]

メルヴィル『白鯨(上)』八木敏雄訳(岩波文庫)p.35

「鯨とは後ろ足のない哺乳動物である」
――[ジョルジュ・]キュヴィエ男爵[一七六九-一八三二][『動物界・第四巻哺乳類』一八二七年]

メルヴィル『白鯨(上)』八木敏雄訳(岩波文庫)p.41

舞台となるのは主人公が住むアパートの室内とその外側の廊下だけ。原作は同名の舞台劇で、原作者が自身の経験をもとに書いた戯曲らしい。主人公のチャーリーは、オンラインで英語の講師をしながら、部屋から一歩も出ずひたすら食べ続けることで緩慢な自殺を図っている。体重270Kg以上で満足に歩くこともできない異形の姿でありながら、どこまでもポジティブでしかし底の知れなさもあり、無邪気さと不気味さがないまぜになったチャーリーというキャラクターをブレンダン・フレイザーが魅力的に演じている。

疎遠になっていた娘と父親が再会し絆を取り戻そうとするというあらすじを聞くと、ハートフルでお涙頂戴の物語を連想するけど、そんな予断をぶち壊すように、映画冒頭でいきなりチャーリーのがマスターベーションしているところが映し出される。

マスターベーションの興奮のせいで心臓発作が起こったちょうどその時、ニューライフというキリスト教系の新興宗教の宣教師を自称するトーマスが、予期せぬ訪問者としてやってくる。チャーリーはトーマスにある文章を読ませる。どうやらそれはメルヴィルの『白鯨』について書いた小論文(エッセイ)らしい。

このエッセイは映画の中で何度も朗読され、重要な役割を演じる。メルヴィルの『白鯨』の冒頭で鯨に関する文章が様々な本から引用されている。原題は”MOBY-DICK OR THE WHALE”、『ザ・ホエール』というタイトルは『白鯨』と主人公の巨体の2つを表しているのだろう。

緩慢な自殺である過食のせいで、いろいろと面倒を見てくれている看護師のリズ(『ダウンサイズ』『ザ・メニュー』のホン・チャウ)からは余命1週間を宣告されてしまう。チャーリーは死ぬ前に、離婚してまったく会っていなかった娘と過ごす時間を作ろうと、娘エリー(セイディー・シンク、『ストレンジャー・シングス』のマックス役)に連絡をとる。

離婚の原因になったのはチャーリーが妻と娘よりも同性の恋人アランを選んだからだ。しかしアランはニューライフの信仰が原因で自殺してしまう。チャーリーは彼を救えなかったことで過食するようになる。アランは実はリズの兄で、リズも同様に兄を救えなかったことに深く傷ついている。チャーリーとアランは結婚はしていなかったが、リズは友人であり義理の妹のような存在で、それでチャーリーの面倒をみているのだ。

リズはチャーリーを救いたいと思っているし、トーマスも別の理由でチャーリーを救いたいと思っている。しかし彼らにチャーリーを救うことはできない。チャーリーは娘のエリーだけが、自分の魂の救済しか考えていないともいえる。

再会した娘との関係は修復できるのか……しかしエリーはほとんどサイコパスのような、頭がいいけど善悪を超越したような存在で、さらに実はトーマスがニューライフから追放された状態であることが暴露され、人間という存在自体の謎に包みこまれ、物語がどこに向かっているのかわからなくなる。

エリーは触るものみな傷つけるというかんじで、チャーリーであれトーマスであれ常に相手をいかに傷つけるかしか考えていないようにみえる。停学になった同級生への言葉も心をえぐるようなものだったのだろうと想像できる。トーマスのことを暴露したのも、彼のことを思ってのことなのか悪意からなのかわからない。彼女は母親でありチャーリーの元妻であるメアリーがいうように、邪悪な存在なのだろうか。

この映画には完全に善良な人間も完全に邪悪な人間も出てこない。メアリーは最初の印象では酒を飲み過ぎて育児放棄しているような母親なのかと思わせられるが、だんだんとそうではないことがわかってくる。人当たりがよくて常にユーモアを忘れないチャーリーも、恋に落ちて妻と娘を捨てたことは事実で、娘との関係を修復したいのも自分のためだし、メアリーが「自分のことしか考えていない」と非難するのもあたっている。

そんなエリーをチャーリーだけは全面的に信じ、「おまえは完璧だ」と言い続ける。そのことがエリーの心を動かす。映画のラストで、冒頭でトーマスに朗読させたのと同じように、『白鯨』についてのエッセイをエリーに朗読させる。劇中でなんども登場するそのエッセイを書いたのは、実はエリーだった。「ここまで歩いてこい」という娘の言葉に従い、なんとか自力で立ち上がり歩いて見せたあと、光に包まれチャーリーは昇天する。

チャーリーの魂を救ったのはリズでもなくトーマスの信仰でもなく、エリーが振り向いてくれたことだった。人は他者を無理やり救うことはできないのかもしれない。しかしチャーリーは娘を信じ続けることで魂の救済を得たのだった。

それでもこの物語は厭世的な悲劇だ。チャーリーは喪失から立ち直れず自殺に成功するのだし、リズやトーマス、エリーがどうなるのか、かすかな希望が示されるとはいえ、ほとんど放り出されて終わる。人生の汚辱にまみれ、死を目前にしてもがき続ける男の物語。しかし絶望的な人生にもわずかな慰めだけは恩寵のように与えられるのかもしれない。

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