汝の隣人を愛することが全人類を救うことになる/『ノック 終末の訪問者』感想【ネタバレあり】

映画

M・ナイト・シャマラン監督の最新作。嫌いな作家ではないのでいちおう新作はチェックしとかないと。原作はポール・G・トレンブレイの小説『終末の訪問者』。

ストーリーは、2人の父親と娘が山小屋で休暇を過ごしているところに4人の見知らぬ男女がやってきて、「父親と娘のうち誰か一人を犠牲として選べ、さもないと全人類が滅亡する」という、めちゃくちゃな選択を強制される。4人が言ってることは本当なのかそれとも妄想なのか、観客は2つの可能性の間で宙づりにされる。シャマラン映画ではおなじみのサスペンスだ。

人里離れた場所で謎の人物や怪物に襲われるというのは、スプラッタホラーやカルト集団ホラーによくある設定だけど、本作はだらだらと見たことのある場面が続いたり過剰に恐怖を煽ったりすることもなく、いきなり核心である「選択」を迫る場面になる。4人の目的は家族を苦しめたり殺したりすることじゃなくて自発的に選択してもらうことなので、みんなものすごく礼儀正しく振舞おうとする。そこが新鮮(襲われるほうからすれば礼儀正しくてもおそろしいことに変わりはないけど)。『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』でおなじみのデイヴ・バウティスタが4人のうちのリーダー、全身筋肉のかたまりみたいな見た目で、ちょっとどうかしてる狂信的なファナティックさと純粋さを同時に感じさせる役を好演している。

人類を救うために家族の一人を差し出せるか? というのは究極の質問のようだけど、いきなり「そうしないと人類が滅亡する」といわれたって信じられるわけがない。それは映画の中の登場人物も観客も同じだ。だから家族3人の「選択」への答えは決まっている。映画の終盤まで3人はいかにこの状況から逃げるかしか考えないし、観客もそれに納得するだろう。似たようなこれまでのシャマラン映画と違って場面は限定されているし登場人物も比較的少ないから、映画の芯がぶれずに緊張感を保ちながら観ることができる。

不条理な試練を課す4人が何者なのかは、映画のラストで父親の一人であるエリックが解説してくれる。4人は人類を象徴していて、彼らの説得に同意できるかということがひいては人類全体が救うに値するかということになっている。しかしこの試練を課してるのが神だとすると、なんという不条理なシステムなんだろうか。人類の中から4人の人間が選ばれ、ある家族に一人の命を差し出せと強制させ、そしてもし生贄が選ばれなければ全人類が滅ぶ。生贄となる家族はもちろん、選択を迫る4人だって犠牲者だ。たしかに旧約聖書には、神がアブラハムの信仰を試すために息子イサクを生贄にせよと命じるエピソードがあるけど。すべての登場人物たちの行動には納得できるんだけど、このシステムだけは不条理すぎて納得できない観客が多いんじゃないだろうか。

娘ウェンが映画の冒頭で集めているバッタ(イナゴ)とか、4人がヨハネ黙示録の四騎士になぞらえられてたり、あきらかにキリスト教のモチーフが散りばめられているけど、どうしても真面目な宗教的なテーマというよりはヨハネの黙示録やイサクの犠牲のパロディに思えてしまう。

コーラン(クルアーン)には「人を殺した者、地上で悪を働いたという理由もなく人を殺す者は、全人類を殺したのと同じである。人の生命を救う者は、全人類の生命を救ったのと同じである。」(クルアーン5章32節)という言葉があるらしい。もし犠牲を差し出すように選ばれた家族が全人類を憎んでいたら、その時点で全人類の滅亡が決定するわけだ。本作では同性のカップルが選ばれていて、もし彼らが偏見やヘイトのせいで人類に絶望し憎むようになっていたら結末は違ったものになっていただろう。だから汝の隣人を愛せよ、それが全人類を救うことになる、あくまで真面目にこの映画の教訓を考えるなら、そういうことになるのかもしれない。

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