苦みを抱えながらも生きていく、すべての生きとし生けるものへの生命讃歌/『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー Vol.3』感想

映画

最近観た映画でいちばん泣いたし、泣いたのと同じくらい笑った。これは『ガーディアンズ』シリーズの『ノー・ウェイ・ホーム』。欠けたもの、悲しみ、痛みを抱えながらそれでも生きていくのだという生命賛歌。

ストーリーはシンプルで、アダム・ウォーロックに襲撃され瀕死になったロケットを救うため、あっちに行ったりこっちに行ったりするだけだし、オルゴスコープ社への潜入とかもけっこう緩いかんじだけど、ロケットが復活して勢ぞろいしたガーディアンズ+ガモーラの戦闘シーンは最高だし、ストーリーの合間に差し込まれるロケットの過去(ライラ、スティーフ、フロアたちと檻の中でおにごっこをして笑いながら転げまわる場面、そしてライラたちの悲痛な最期、ロケットの夢の中で再会するシーン、どれも痛切極まりない)にいちいち泣かされ、ドラックスとマンティスのやりとりに笑ってれば、ストーリーの単調さもどうでもよくなる。

マンティスとドラックス、ネビュラのやりとりが笑いを担当しているけど、たんに笑えるだけじゃなくて、常にそれぞれのキャラクターを物語るやりとりになっている。

ロケットの回想シーンのたびに涙を絞ることになるけど、そのあとには必ず笑いが用意されていて、涙と笑いが何層も重なっているミルフィーユのようになっている。

アダム・ウォーロックを演じるウィル・ポールターもよかった。こういうちょっと頭悪いけど危険きわまりなキャラクターの役がよく似合う。

ドラックス・ザ・デストロイヤー(破壊者)がドラックス・ザ・ダディになり、「おれはアライグマ(ラクーン)じゃない!」といつも言ってたロケットが、自分が本当にアライグマだったことを知ってそれを受け入れる。ガモーラを喪ったクイルも、目の前にいるガモーラは別人であるということを受け入れる。

エンディングのダンスシーン。ロケットの過去は痛ましいし、ライラたちも喪われたままだ。ガーディアンズから去っていくものもいるし、けっしてすべてがハッピーなエンディングではない。それでも、精神的に肉体的に欠けているものがあっても、喪失や変化を受け入れトラウマを抱えながら、人間も動物もすべての生けるものを祝福し讃えるような感動的なダンスシーンだった。

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