希望はどこにもない。黙示される地獄/『シビル・ウォー アメリカ最後の日』感想と考察

映画

『エクス・マキナ』、『アナイアレイション -全滅領域-』、『MEN 同じ顔の男たち』の監督・脚本アレックス・ガーランドの最新作。

FBIを解体し独裁体制をひこうとした大統領に対して、多くの州が反旗をひるがえし、政府軍と州軍や自警団とが内戦状態にあるらしいアメリカが舞台になっている。敗北しつつある大統領にインタビューしようと首都に向かうジャーナリストたちの視点から描かれるロードムービーでもある。

アメリカの外側ではさまざまな戦争、紛争、独裁者による弾圧が起こり続けてきた。この映画は内と外を反転させ、アメリカの外で起こってきた悲惨を、実際に起こってもおかしくないというリアルさ、生々しさでアメリカの内側に現出させてみせる。

民主主義の崩壊、独裁政権によるジャーナリストの殺害、虐殺され穴に放りこまれて山積みになる死体、一国の大統領が動物のように狩られ、暴力から守ってくれるはずの法律や理性が無効になり銃を持つ人間の一存だけで人間があっさり殺される……この映画で起こるショッキングなことはすべて歴史上実際に起こったことのコラージュになっている。

戦争や紛争にはアメリカ自身が関わっているものやそうでないものもある。そこで起きた悲惨な出来事を記録し伝えてきたのが戦場カメラマンやジャーナリストたちだ。主人公たちの一人、リー(キルスティン・ダンスト)は祖国アメリカでこのような悲惨なことが起こらないように警告のつもりで活動してきた。しかし内戦が起こってしまったことによってジャーナリストとしての存在意義を見失っている。

独裁政権になったアメリカを描くディストピア映画は珍しくない。そんな映画はたいてい、独裁政権(悪)と反政府レジスタンス(善)という構図になっている。しかし本作は善と悪という構図にはなっていない。独裁政権を打倒しようとする勢力には、あきらかに虐殺を行っているものたち、正規軍のような規律がなく自警団として勝手に活動しているものたち。老齢のジャーナリスト、サミーは政府軍を打倒したあとは反乱軍同士で争うことになるに違いないと考えている。

では主人公たちジャーナリストこそが善であり希望なのだろうか。いや、そのようにも描かれていない。戦場カメラマンはハゲタカのように、いままさに死につつある兵士の横に立ちカメラを構える。そこで起きていることを世界に知らせる、報道という大義はあるが、いい写真を撮ることはカメラマン個人の名声にも結び付いている。銃声や爆発音を聞いて興奮するというジョエル、命の危険にさらされたジェシーも、とてつもない恐怖と同時に「生の躍動」を感じる。リーはジャーナリストとしての大義自体を見失っている。車の座席についたサミーの血を落とそうとするリーは手も服も血まみれになる。ジャーナリストの手も血にまみれていることを象徴するシーンだ。

最終的にリーはジェシーをかばって弾丸に倒れる。ジェシーは反射的に撃たれるリーにカメラを向けシャッターを切る。呆然とした表情のジェシーは倒れるリーを無視して立ち上がる。先輩であるリーからジェシーに継承されたのは、ジャーナリストとしての魂などではなく呪いのようにしかみえない。

独裁や暴力はもちろん、右や左の政治的イデオロギーにも、ジャーナリズムにも希望はない。希望はどこにも見当たらない。観客は、どこにも逃げ場がない地獄のような光景に包囲される。まさにいま目の前で起こる世界の終わり、Apocalypse now、地獄の黙示録だ。この映画はひたすら絶望のビジョンを示し、この絶望と惨劇はいま世界中で実際に起こっていることであり、アメリカでも起こりかねないと警告するのだ。

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