自分勝手で残忍な犯罪者のはずなのになぜか感情移入してしまう/Netflix『リプリー』感想と考察

映画
リプリー | Netflix (ネットフリックス) 公式サイト
特殊な仕事を引き受けたペテン師はイタリアに渡り、富と特権を享受する世界へと引き込まれてゆく。だが、彼が憧れる生活を手にするには、幾重にもうそを重ね続けなくてはならなかった。

アラン・ドロンがリプリーを演じた『太陽がいっぱい』、リプリーをマット・デイモン、ディッキーをジュード・ロウ、マージをグウィネス・パルトローが演じた『リプリー』、あとwikipediaによるとインド・タミル語版も存在してるらしいのを含めると3度映画化されている、パトリシア・ハイスミスの小説『The Talented Mr. Ripley』が原作のTVシリーズ。

『太陽がいっぱい』や『リプリー』が長編小説の内容を2時間にまとめなかったのに比べて、今作は全8話なのでかなり原作に忠実な内容になっている(たぶん。原作未読なので)。

今作でアンドリュー・スコットが演じるリプリーは、アラン・ドロンのようにイケメンでもないし、マット・デイモンのようにナイーブでもない。主人公のリプリーはけちな詐欺や書類の偽造をして生きている。頭の回転が速くて器用で、小説の原題(才能あるミスター・リプリー)にあるように多才な男なのだが、才能を生かしきれていないのか、ニューヨークの底辺でなんとか生き延びているという暮らしをしている。

人から金を騙し盗ってもまったく良心の呵責がないし、ひたすら自分の利益しか考えず、身勝手な考えから殺人も犯し、どう考えても感情移入できるような主人公ではないのだが、観ているうちにだんだんと魅力的に思え肩入れしたくなってくる。それはリプリーが登場するシリーズを5作書くことになる作者のハイスミスも同じだったのではないだろうか? 

なぜ魅力的に思えてくるのか。とにかくいつも必死で生き延びようとしているところに哀れさを感じるからだろうか。海運王である父親から息子のディッキーを連れ戻すように依頼されてイタリアに来たリプリーは、初めての海外旅行でイタリア語もわからず、山の上にあるディッキーの屋敷まで延々と続く階段(『イコライザーTHE FINAL』でマッコールさんも登ってた)を何度も往復させられる。殺人の証拠隠滅のために船を沈めようとするときも、燃やそうとするがうまくいかず、石をボートが満杯になるまで積んでやっと沈めることに成功する。殺人と証拠隠滅のために必死で重労働をし、いきあたりばったりの犯罪をごまかすためにほとんど心休まる時間がない姿は、すでに罰を受けているかのようだ。

あるいは、リプリーに比べて周りの人間が愚かに描かれているからだろうか。ディッキーの絵の才能はひどいし、旅行記をまとめようとしているマージは、リプリーのアドバイスがあって初めて本にまとめることができる。殺人を隠蔽するためのディッキーとリプリーの一人二役を、マージもディッキーの父親も彼に雇われた私立探偵もイタリアの警察も見抜くことができない。

リプリーは自分にないもの(金、教養、趣味の良さ)を渇望し、どんな手を使っても手に入れようとする。ディッキーもマージもその渇望を同性愛と勘違いし、リプリーの本質を見抜くことができない。

リプリーは刹那的で自分のことしか考えていないが、ある意味で純粋でもある。自分の正体を常に隠しているから誰にも理解されず孤独でもある。人殺しもするサイコパスだが、余裕綽綽で手玉に取るのではなく必死のパッチで地上を駆けずり回っている。そんな姿に魅力を感じて物語に引きこまれるのかもしれない。

モノクロームで捉えられたイタリアのアマルフィ海岸沿いの都市、ヴェネチアの風景も美しく、雰囲気に浸れるミステリーを探してる人はぜひ観てみてほしい。

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