去年11月に再び大統領に選ばれたドナルド・トランプの伝記映画。父親の会社で家賃の取り立てなどもしている若きドナルド・トランプが、悪徳弁護士のロイ・コーンと出会い不動産王として成りあがっていく半生を描いている。トランプといえば人種差別的、性差別的な発言の数々、性的暴行で告発され、重罪犯として有罪にもなっている悪名高い人物だが、この映画はそれを糾弾するような映画ではなく意外にも感情に訴える映画になっている。
ドナルドを演じるセバスチャン・スタンは、MCUの陰のあるイケメンキャラクター、バッキー/ウィンター・ソルジャー役で有名だが、一方で『アイ,トーニャ』や『パム&トミー』ではダメ男、クズ男を演じていたり、『ディファレント・マン』では神経線維腫症の異貌の男を演じていたりする俳優でもある。本作での演技は、トランプの仕草などをカリカチュアしたモノマネになることなく、まだなにものでもない若者が”ドナルド・トランプ”になっていくさまを表現していて圧巻だった。
ロイ・コーンの薫陶、弁解や説明責任を果たすかわりにひたすら他人を攻撃し、客観的事実を否定して一方的に勝利を宣言という3つのルールを学んだドナルド・トランプは、ビジネスで成功していくにつれて、人として最低限の優しさ、思いやり、親切心を失っていく。人間の内面の柔らかいところが腐りおちていくようなグロテスクさは、さすが『ボーダー』のアリ・アッバシ監督と思わせる。病気で弱ったロイ・コーンに対する因果応報な仕打ち、感情の不在が観客の感情に訴えてくる。
ドナルド・トランプにはこの世界を破壊してやろうという悪意はない。ロイ・コーンと出会う前の若きドナルドは、有力者や大富豪の話、自分もいつかそうなるという話ばかりしてデート相手を退屈させる。中身は空っぽだがピュアであるともいえる。
蠅には疫病を蔓延させて人間を苦しめてやろうなどという悪意はない。適者生存や自然法則に従って、そこに腐った肉があるから卵を生みつけているだけだ。
ビジネスで成功することこそがすばらしいことと考え、旅客機パイロットになったドナルドの兄を家族の恥だと言い放つ父親、「この世界は弱肉強食だ」「弱い者は死ね」という競争社会、金儲けだけが価値のあることだという、倫理を欠いた資本主義、買収や脅迫で歪められる政治、司法システム、金持ちと権力者に甘い大衆……腐った社会や周囲の人間がドナルド・トランプという人間を生みだし許容してきた結果なのだ。
社会の歪みや腐敗が放置された結果、いまや重罪犯でレイプ告発されていても大統領になれてしまう世界になってしまった。差別を煽り嘘をまき散らしながら、インフルエンサーや政治家として成功するドナルド・トランプ的なものたちは日本にもはびこっている。トランプと同じように彼らにも悪意はない。ただトランプのやり方を真似れば権力を得て金持ちになれると考えているだけだ。端的に、人として最低のクソ野郎たち。しかしクソ野郎であることさえ受け入れれば成功できてしまう。厳しい競争社会と資本主義の論理にしばきあげられてきた人たちが、クソ野郎になったりクソ野郎たちを支持したくなる気持ちも理解できる。しかし大多数の人たちは、愛や友情、親切心などをあたりまえに信じているはずで、そうであれば、ロイ・コーンやトランプやその信奉者たちのような、愛も情けもなく、他人は自分にとって利用できるかどうかという存在でしかないそんな怪物たちを、ほんとうであれば支持できないはずだ。
この映画はドナルド・トランプ個人だけではなく、数十年前から続く社会の歪みを描き、このままでいいのかと問いかけている。
弁護士資格をはく奪され死に瀕したロイ・コーンは、自分が作りあげたドナルドに感謝も同情もされず冷たく見捨てられる。いまや社会が、トランプ的なるものたちを作りあげた報いを受けているのだ。
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