
最近読んだ『ジェイムズ・ボールドウィンのアメリカ』に「アメリカの嘘」という言葉が出てきた。著者は「アメリカは自由と平等、民主主義の国」だとか「差別主義者たちは例外的な存在で、アメリカは寛容と多様性、平等へ常に前進している」という物語を「アメリカの嘘」と呼ぶ。
実際、アメリカの歴史を振り返れば、この物語が幻想であることが分かる。建国の父たちは奴隷所有者だったし、独立宣言で「平等」とされたのは男たちだけだった。奴隷制は廃止されることになるけど人種隔離政策は残り、人種隔離政策を撤廃する公民権法は成立したけど、キング牧師もマルコムXも暗殺され差別は残り続けた。黒人初の大統領が誕生したかと思えば、その後にはトランプが大統領に選ばれた。法的に男女平等となったのは20世紀になってからだし、いまだに性差別も根強く残っている。そして、アメリカン・ドリームという希望に反して、権力を握り続けているのは相変わらずエリートと大富豪だ。
だからアメリカの核にあるのは自由と平等などではなく、金持ちの白人男性が支配するべきだという本音なのだ。それは2度もトランプが大統領に選ばれたことが証明している。トランプや差別主義者たちは例外なのではなく、ずっとアメリカの根幹に存在し続けてきたのだと認識しなければ、「アメリカの嘘」を正すことはできない。
ジェイムズ・ボールドウィンだけでなく、アメリカの差別や不平等を指摘して「アメリカの嘘」を暴こうとする作品は映画にも多くあることに気づく。
『ブルータリスト』もそのうちの一本だ。
映画の冒頭、移民たちを乗せた船がニューヨークに到着する場面で、自由の女神が横倒しに、逆さまに映し出される。この映画が裏切られたアメリカン・ドリームという「アメリカの嘘」を描いているという宣言になっている。
主人公ラースローはホロコーストを生き延びた移民としてアメリカにやってくる。しかし、彼が出会うのは希望ではなく、冷たい現実だった。居候先の家族から移民やユダヤ人への反感を感じとったラースローはシェルターで寝泊まりしながら肉体労働をして生活することになり、精神的肉体的苦痛から薬物に依存するようになる。
ナチスに迫害される前は才能ある建築家として評価されていたラースローは、大富豪であるハリソン・ヴァン・ビューレンに建築を依頼される。しかしハリソンはラースローの才能を羨みながら、内心ではラースローのことを見下しており、大理石を輸入するために訪れたイタリアの洞窟でラースローへの侮蔑をむき出しにする。ハリソンの仕打ちに絶望したラースローは、建国されたばかりのイスラエルに移住することを決意する。しかしイスラエルというプロジェクトも理想の国家などではなく、いま現在の現実世界では絶望をもたらしている。アメリカに裏切られた絶望はまた新たな絶望に行き着く。
常に殺伐と(brutal)していてどこにも安らぎはない、この映画は「アメリカの嘘」を暴き、観客にどこまでも苦い後味を残す。
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