『スリー・ビルボード』のマーティン・マクドナー監督作。『スリー・ビルボード』は登場人物たちの激しい対立と人種差別・ヘイトの社会問題を描いた作品だったけど、今作でも二人の登場人物が激しくいがみあうことになる。
中年男と老人の子どもじみた対立、自分たちの狂気と愚かさと暴力によって、登場する男たちは軒並み不幸になる。
アイルランド内戦が重ねあわされてるのは間違いないけど、たとえば史実と登場人物の行動が重ねあわされてるというレベルなのかどうかは知識がないのでわからない。
世界は、人生はこんな愚かな対立だらけだよね、でもこれでいいのか? これしか道はないのか? と問いかけてくる。
以下、ネタバレを含む感想
パードリック(コリン・ファレル)はある日突然、親友だと思っているコルム(ブレンダン・グリーソン)から絶交される。コルムの拒絶のしかたが強烈で、「今度話しかけたら自分の指を切り落とす」とまで宣言す。しかし絶交されることにどうしても納得できないパードリックはコルムに絡み、コルムは最終的に自分の5本の指すべてを切り落とす。
妹と同居してて結婚もせず、趣味も教養もなく、馬鹿話をするだけのパードリックはコルム以外に親しい友人もいない。何度言われてもコルムに絡むことをやめないパードリックは幼児的で、妹のシボーン(ケリー・コンドン)が島を出て一人暮らしをすると言われたときも自分のことしか考えていない。対するコルムのほうも絶交のしかたや自分の指を切り落とすという行動も極端で、精神的に一線を越えている。
ドミニク(バリー・コーガン)という少年は警察官である父親に虐待されている。ドミニクはパードリックのことを「いい人」として慕っているが、コルムとの諍いで悪意を見せたパードリックに失望して離れていく。そのあとシボーンにつきあってほしいと告白するが、島を出ていく決意をしていたシボーンは断る。はっきりとは描かれないけど、その後ドミニクは湖に投身自殺する。
コルムと妹以外では唯一心を通わせていたパードリックのロバが、コルムが切断した指をのどにつまらせて死んでしまう。その復讐のためパードリックはコルムの家を焼く。
子どもじみた喧嘩で、コルムは指と家を失い、パードリックは妹とロバと優しさを失い、ドミニクは死んでしまうし彼の父親は息子を失う。パードリックの愚かさとコルムの狂気によって、男たちはみんな何かを失い不幸になる。その一方で妹のシボーンは島を出て幸せに暮らす。兄も島を出るよう説得するがパードリックは聞き入れない。
舞台となる島から肉眼で見える距離にある本土ではアイルランド内戦が起こっていて、大きな爆発音も聞こえる。それでもパードリックや島民は誰と誰が戦っているかどうでもいいと思っている。とくにパードリックは能天気に、人生に重大なことなど何もないかのように暮らしている。コルムはそのことにいらだち、パードリックに人生の苦みを教えようとゲームをしかけているように見える。最終的にその目的は達成されたように見えるが、能天気な愚か者でなくなったパードリックはまるで知恵の実を食べて楽園を追放されたアダムのようだ。
コルムが絶交したのは、パードリックの無意味で退屈な馬鹿話に耐えられなくなり、音楽制作に専念したいという理由だったのに、結局は自分の指を切り落としバイオリンも弾けなくなってしまった。ロバも失い妹にも去られ孤独になり、家の中に牛や馬を入れていっしょに暮らすパードリックは狂気じみてくる。しかし、映画のラスト、コルムと話すパードリックはもうべたべたと馬鹿話することはなく、人生の苦みと狂気を抱えて、成長したようにも見える。成長したパードリックとコルムには新しい友情が生まれるのかもしれないし、死ぬまで憎みあうのかもしれない。しかし、苦しみと狂気を抱えこむことが大人に、一人前の男になるということなのだろうか? 実際、世界はそういう対立であふれ人々は苦しみと狂気を抱えこみながら生きているけど、「それでいいのか?」とカメラ越しにこちらを見つめるロバや馬や牛や犬たちは問いかけているような気がする。
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