『マッド・マックス 怒りのデス・ロード』のジョージ・ミラー監督の最新作。主演はティルダ・スウィントンとイドリス・エルバ。
物語論の研究者であるアリシア(ティルダ)が、ナイチンゲール目の瓶から現れた魔神(イドリス)に3つの願いを叶えてやるといわれる。アリシアは「3つの願い」の物語がどれもハッピーエンドじゃないことを知っているので、素直に願いをいう気になれない。それに、心からの願いを思いつけないことにも気づく。
しかし3つの願いをいってもらってそれを叶えないと、魔神は自由になれない。アリシアは自分の中にある心の底からの望みを見つけることができるのか。そして魔神は自由になることができるのか。
アリシアが逡巡しているあいだ、魔神は自分が3000年のあいだに3人の女性に出会い3度にわたって瓶に閉じこめられた物語を語る。3つの願い、3000年、3人の女性。3はマジックナンバー。
最初はシバの女王。2人目は奴隷の少女グルタン。3人目は科学の天才でありながら女性であるがゆえに塔に閉じこめられているゼフィール。そして4度目に魔神をナイチンゲール目の瓶から解放したのも女性であるアリシアだった。共同脚本のオーガスタ・ゴアはミラー監督と前妻とのあいだの娘で、原作もイギリスの女性作家A・S・バイアット。前作『怒りのデスロード』もフュリオサという女性が主人公の物語だった。本作も女性たちの人生と欲望の物語だ。
「3つの願い」にはルールがある。願いの数は変えられないことと、永遠の命は願えないということ。人間は死すべき運命にあり、永遠の命は魔神たちだけの特権なのだ。
アリシアは少女の頃から孤独を好み、夫と別れた時も喪失感よりも解放感のほうが強かった。アリシアの願いは孤独から逃れることではなく、永遠とのつながりだった。物語好きの魔神が永遠に生き続ける限り、物語も永遠だ。彼女は物語の一部になることで永遠に生き続けることを願った。
映画の冒頭、講演会でアリシアは現代では神話や御伽噺は科学に取って代わられ役目を終えるという話をしている最中に、異様な格好をした幻影に一喝され気を失う。その幻影はのちに魔神が語るシバの女王の場面に出てくる。また、ゼフィールが本を読むときの癖や貧乏ゆすりはアリシアとまったく同じだ。物語の死に抵抗し、永遠につながるための力は魔神によってもたらされるのではなく、彼女の中から出てきたものだということを示唆している。
アリシアの物語が語られる時だけアリシアも存在する。ツイッターでフォローしフォローされ繋がっているわれわれも、ツイートする/物語るときだけタイムラインに現れ存在できる。つぶやく時にだけ存在し繋がることができる孤独な魂たち。
物語がわれわれを形作り、物語ることによってつながる。小説が書かれ映画が作られ、それらを読み映画館に観に行く理由がそこにある。
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