『分析フェミニズム基本論文集』に収録されてた論文。
公共空間にある男性向けのエロティックな表現物がどのような理由で有害であるか論じてて、すごく参考になった。
「性的モノ化[対象化/客体化]」とはどういう概念か。「道具扱い説」と「意味の押しつけ説」という2つの立場がある。
「道具扱い説」を採るマーサ・ヌスバウムによれば、「モノとして扱うこと」には7つの特徴がある。
1.道具化[相手を自分の目的を達成するための道具として扱うこと]
2.自律性の否定[相手を自律性や自己決定力を欠いたものとして扱うこと]
3.不活性化[相手を主体性や能動性を欠くものとして扱うこと]
4.交換可能化[相手を他の対象と交換可能なものとして扱うこと]
5.侵襲可能化[相手を毀損してよいものとして扱うこと]
6.所有物化[相手を売ったり買ったりできる所有物のように扱うこと]
7.主観性の否定[相手の経験や感情を考慮しなくてもよいものとして扱うこと]
たとえばエロティックな要素のあるサスペンス映画に登場する女性や、女性のヌードを描いた絵画、グラビア写真など、女性がモノ化されているといえるかどうか、これらの特徴によって判別できる。
著者であるユッテンは「道具扱い説」を全否定しているわけじゃないけど、「意味の押しつけ説」を採れば「道具扱い説」だけでは取り逃されている性的モノ化による害を捉えることができるという。
社会的意味の押しつけとしての性的モノ化は、個人の自己提示を阻害する。「私はこのような人間だ」という自己提示が阻害されることは、主体性によって実存的な脅威になる。他者や社会に対して自分はどういう人間かというパブリック・イメージの発信を歪め、女性の自律性を脅かす。
性的モノ化は、男性(や他の女性)に女性を、自ら自分のために主張を行い、またそのような主体として認知される権利をもつ自律的な自己提示者ではなく、その価値が男性の性的関心によって定義されるような性的対象として見ることを促すのである。自律性に対するこの脅威は、自己決定に基づく個別の行為に対するもっと明白な脅威とは異なるが、そうした脅威と少なくとも同じくらい深刻である。なぜならこの脅威は、女性が、そもそも自己決定権を認められる自律的主体としての社会的立場をもつことを揺るがすものであるからだ。そして当然ながら、女性の自律的主体としての社会的立場がいったん損なわれるならば、女性が自律性の尊重を要求することはより困難になり、それによって彼女たちは自己決定に基づく個別の行為を遂行するにあたっても妨害されやすくなってしまう。
p.136-137
女性に対する性的対象の身分の押しつけが、女性を男性と社会的に対等でない存在として表象するとき、女性の平等な社会的立場は損なわれている。
p.137
性的モノ化の害と不正は、それが女性を脆弱(vulnarable)にするという事実にある。つまり、女性たちは、性的な属性が自分のパブリック・イメージのなかで支配的になるときにはいつでも、性的対象の身分へ格下げされてしまう。
p.141
セーラー服や制服を着た少女を性的に表現することの問題点の理由がここにある。
女性を性的モノ化するということは女性を男性に対して従属的に描くということで、つまり男女平等に反する。セクハラはたんに性的欲求に駆られてだけのことではなく、女性を従属的な立場に置いておきたいという欲求からもきているのだ。セクハラや性的モノ化された表現をあたりまえのものとすることは、性的でない面でも男性の権力に有利に働く。だから公共の場での男性向けエロ表現に文句をいわれると過剰に反応する人たちがいるんだろう。
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