罪と記憶と赦しについて/『ブリンク・トゥワイス』感想と考察

映画

Amazon Primeで配信中の『ブリンク・トゥワイス』を観た。『ザ・バットマン』のキャット・ウーマン役などで知られるゾーイ・クラヴィッツの監督デビュー作。

あらすじと舞台設定

ナオミ・アッキー(『ミッキー17』のナーシャ)演じる主人公フリーダは、元テック企業のCEOで大富豪のスレイター・キング(チャニング・テイタム)が所有する島でのパーティに招待される。滞在することになった島はエキゾチックで美しいが、そこに集まったスレイターの友人たちは一癖ありそうで、もちろん「素晴らしい休暇を過ごせました」で終わるはずもない。同行することになったフリーダの友人のジェスも「いけにえを捧げる儀式は何時から?」などと言っている。

スリラーの枠を超える社会派サスペンス

たしかに主人公たちはおそろしい目にあうことになるのだが、本作はよくあるスリラーではなく、『アス』や『ドント・ウォーリー・ダーリン』のような、性差別や権力の不均衡を鋭く批判する映画だったのはうれしい驚きだった。ただし激しい性暴力描写があるので視聴には注意が必要(配信の最初にも警告が表示される)。

記憶と罪

美しいリゾートで1日中シャンパンを飲み、豪華な夕食のあとはドラッグという島での暮らしにはおぞましい真実が隠されていた。スレイターと彼の仲間たちは、フリーダやジェス、招待した女性たちに毎夜性的暴行を加え、その記憶を消去するということを繰り返していたのだ。

フジテレビの問題を見ればわかるように、これは絵空事ではなく世界中で実際に起こってきたことだ。男たちがグルになって女性に性的暴行を加える。そして金と権力を使って被害者たちの口を塞ぎ、もし被害者が告発したとしても「証拠がない」「嘘をついてるに違いない」と罪を隠蔽してきた。

記憶と罪についてといえば『メメント』も思い出される。短期記憶を失い続ける『メメント』の主人公は妻を殺した犯人を捜しているのだが、実は妻を死なせてしまったのは主人公自身に原因があるのではないかと仄めかされる。しかし、自分の罪と向き合うことができない主人公は許しと贖罪のチャンスを失い、永遠に煉獄を彷徨い続けることになるのだ。

スレイターは赦しなどまやかしだという。いくら謝ってもしてしまったことはとりかえしがつかない。だから記憶と記録を消去し罪をなかったことにしようとする。公文書や教科書から加害の歴史を消し去ろうとする現実の歴史修正主義たちと同じ、加害者側の勝手な論理だ。記録を残すこと、忘れないでいることの重要さを表す寓話にもなっている。

エンターテインメントとしての痛快さ

女性が受ける苦しみに胸糞悪くなるが、加害者であるスレイターの友人たちの一人(クリスチャン・スレイター)がぶちのめされ泣き叫ぶ姿にスカッとするし、フリーダは最後には権力構造をひっくり返すことになる。痛快なエンターテインメントでもある。

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