女性の身体、セクシュアリティ、生理に対する社会の見方にいかに偏りがあるか。/リーヴ・ストロームクヴィスト著、相川千尋訳『禁断の果実』読書メモ

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そのままスタンダップ・コメディの台本になりそうな語り口で、多くの作品が舞台化されているというのも納得。今作は女性器、オーガズム、生理がテーマ。

ヴァギナというのは膣を指す言葉で、正しくはヴァルヴァ。女性器は正しい名前で呼ばれず、見えないものにされている。深宇宙探査機パイオニアに搭載された金属板に描かれた女性の絵とか絵画とか、外陰部の表現はなくされがち。クリトリスや大陰唇、小陰唇からなる外陰部は見えないもの、なかったことにされ、女性器とはヴァギナ=膣=穴として語られる。1981年に出版された医学事典でも、女性器の解説にクリトリスの記述がなかったり。魔女狩りの時代には、「乳首のような突起」(クリトリス)が悪魔のしるしとされたり。

現代では隠され、ないものとされがちな外性器だけど、古代では神聖なパワーのあるものとして、さまざまなかたちで外性器をかたどった像が存在していた。

アリストテレスはセクシュアリティは「男性」という1つしかないと考えていたらしい。だからギリシャ時代には同性愛がタブーではなかったんだろうか。性別、ジェンダー、女性と男性の身体の違いへの見方というのは、文化や時代によって左右されるもので、絶対ではない。

19世紀以前のキリスト教文化では、女性というのは男性に比べて誘惑に弱くて性欲が強い存在だとされていた。しかし啓蒙時代以降、科学が発達しキリスト教の力が弱くなると、女性には性欲がないと考えられていく。そのことが女性の地位を向上させることもあったけど、端的に女性には性欲があるし、やはり抑圧にもなった。おそらくフロイトの主張(クリトリスオーガズムは未熟な少女のもの、膣オーガズムは成熟した女性のもの)もあって、挿入によるオーガズムこそが本物でそうじゃない女性は欠陥があるとされている。クリトリスなどの外陰部がないものとされる文化とも並行している。

『欲望の鏡』でもそうだったけど、「イブたちの声――女性の身体と恥の感情」の章では、ネット上のフォーラムやインタビューから取られた女性たちの声が紹介され、スタンダップ・コメディのような語りの間に挟み込まれるドキュメンタリー的な女性たちの語りが印象的。

最終章は生理のタブーについて。生理用品のCMで強調される「安心感」。経血を見せることは現代でも強烈なタブーであり、生理用品すらできるだけ目に触れないようにされる。古代では神聖だったり魔力があるとされて畏れられていた生理・経血が、男性が権力を独占するようになるとその「力」だけがオミットされてタブーとして避けられるだけのものになる。

月経前症候群(PMS)で気分の落ち込み、無力感、怒りに悩まされる女性たちがいる。PMSが創作のインスピレーションになっているというアーティストもいて、もし男女逆転した世界だったらPMSが芸術家の苦悩と結びつけられていたかも? でも現代社会ではPMS自体正しく理解されているとはいえない。生理によるホルモン変動で男と同じように働けないとみなされたり、でも「女性は生理のホルモン変動があるから育児にはふさわしくない」とは決していわれない。

現代の男性社会によって「禁断」とされている、女性器、女性のオーガズム、生理についての知識(果実)を笑いにのせて暴いてくれる。ストロームクヴィストが差し出す果実を食べることで、男性も女性も自由になれる。ストロームクヴィスト作品もっと読みたい!

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