メタフィクション構造でアメリカを風刺する/『キラー・ビー』感想

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amazon primeで『キラー・ビー』(全7話)、おもしろかった。人々から金を吸いあげて巨大になっていくポップカルチャー、SNSなどアメリカ社会の問題点への風刺。1話目からとんでもないことが起きるけど、第6話まで観ると虚構と現実がぐるんとひっくり返される。

普通の映画やドラマでは「この物語はフィクションであり実在の人物や事件とは関係ありません。もし似ているところがあればそれは意図的なものではありません」と表示されるところが、「この物語はフィクションではありません、実在の人物や事件と似ているところがあればそれは意図的なものである」と表示されるところからして破格だ。

主人公のドレはナイジャの熱狂的なファンで、swarmと呼ばれる狂信的なファンのコミュニティの一員だ。swarmに入ってるファンたちはSNS上でナイジャを批判してるアカウントに群がって攻撃し、住所を特定したり殺害予告をしたりしている。ナイジャとswarmは、ビヨンセと熱狂的なファンダムhiveを元にしている。ナイジャについてのゴシップ、事件はすべて現実に起こったことが元になってるらしい。

姉であるマリッサの家に居候し生活の面倒をみてもらっていながら、熱狂的なナイジャファンであるドレは20万円くらいするライブのチケットを購入してしまう。ナイジャこそが人生のすべてで現実的な社会的生活能力どうみてもないドレはあぶなっかしくみえる。

ある日、ドレは姉のマリッサと喧嘩をし、その直後にマリッサは自殺してしまう。自殺の原因になったマリッサの彼氏を殺害したことをきっかけに、ドレはSNS上でナイジャへのアンチやちょっとした悪口を書きこんだだけの人間を探し出し、次々に殺していく。めちゃくちゃで行き当たりばったりだけど、ナイジャのアンチを殺すという目的のためになりふりかまわないドレの姿には痛快さもおぼえる。

アメリカ社会の底辺を彷徨いながら殺人を繰り返していく、ポップカルチャーやSNS、現代のアメリカ社会を風刺するダークでめちゃくちゃ過ぎて笑ってしまうシリアルキラーものなのかと思って観ていたら、第6話はいきなりフェイクドキュメンタリーになり、実はこれまでの物語は第6話で語られる「現実」を元にしたドラマだったということが明かされる。

つまり、
視聴者がいる本当の現実

本当の現実にビヨンセファンのシリアルキラーという虚構を挿入した、第6話で描かれる『キラー・ビー』内での「現実」

その「現実」を元にして作られた「フィクション」(第1~5話、7話)
という3層構造になっていることが判明するのだ。

作品内の「現実」では狂信的ンビヨンセファンであるドレ(アンドレア・グリーン)が連続殺人事件を起こしており、これまで描かれてきたのは、その「現実」を元にしたドラマだった。第4話では、ドレが子どもの頃に起こした事件がナイジャに執着するようになったきっかけだと仄めかされるが、それも作中作であるドラマ制作者の勝手な解釈にすぎない。


第6話では、ドレが保護施設出身の里子であることがシリアルキラーになった原因であるかのように描かれることへの批判も語られる。また、ナイジャのライブに乱入したドレは逮捕されているが、第7話ではライブに乱入したドレは逮捕されずナイジャに救われる(そのナイジャの顔は姉マリッサの顔になっている)。「ドラマ」内のドレは同性愛者かバイセクシュアルのように描かれているが、それも製作者の想像に過ぎないかもしれない。

ナイジャ=ビヨンセを神のように崇拝し、アメリカ社会の底辺を彷徨しながら殺人を繰り返し、最後は神の中に姉の姿をみて救われるというドレの物語は作中作の制作者が作り上げた物語に過ぎなかったわけだけど、メタ・フィクション構造をとることによって、現実からエンタメ作品を制作することに対しての批判など、メタレベルの批判も盛りこんでいる。

ラストの第7話のタイトルは”Only God Makes Happy Endings(神様だけがハッピーエンドにできる)”。神とはまずはドレにとってのナイジャであり、作中作のドレの物語を作った制作者のことでもあり、あるいは、過激な言動を繰り返すファンダムにとってのビヨンセや、巨大なポップカルチャーを操っている大企業も指しているのかもしれない。あなたたちがその気になれば、現実の酷い部分も変えられるのだと。

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