現実主義とシニシズムを超えて/『スーパーマン』感想と考察

映画

DCスタジオの共同CEO兼会長となり、DCコミック映画化の再始動を任されたジェームズ・ガンによる監督・脚本作。

弱さもさらけ出すスーパーマン

今回のスーパーマンは、以前のDCEUで描かれたような、クリプトナイトがなければかすり傷もつけられないというような神のごとき存在ではない。映画はいきなりスーパーマンが瀕死の重傷を負うところから始まる。最強クラスの力を持つ超人ではあるけど、正義の裁きを下したり調停する神のような存在ではなく、弱さをさらけ出し傷つきもがきながらもポジティブでピュアな善性を体現している。人間だけでなく犬やリスの命すら見捨てずに助けようとするのだ。

レックス・ルーサーについて

一方で、スーパーマンに対立するヴィラン、レックス・ルーサーとその部下たちはほとんど絶対的な悪として描かれている。自分の目的のためなら他人の命などなんとも思っていない。独裁者に協力し、虐殺が起ころうと気にしない。子どもを人質にとって脅迫する。無実の人間を平然と銃殺する。

このように、どんな目的があろうととうてい擁護できない悪としてヴィラン側が描かれているからこそ、スーパーマンの非現実的ともいえるピュアな善性も自然と応援したくなる。

また本作のルーサーはテック大富豪を思わせるが、彼の目的は金や権力だけではなく、倫理観を欠いたたんなるサイコパスであるとも描かれていない。スーパーマンとの対決の結果、ルーサーも内面をさらけだし、スーパーマンの強さと善性が自分を弱い存在にすることが我慢ならなかったのだと告白する。

現実主義とシニシズムを超えて

本作にはスーパーマンだけでなくジャスティス・ギャングと名乗るヒーローチームも登場する。彼らは最初は、怪獣退治はするが政治には介入しないという方針で、虐殺やルーサーの陰謀も傍観している。スーパーマンの理想主義に対して、シニカルな現実主義を体現している。しかしスーパーマンの愚直な善性が影響を与え(ルーサーのやっていることはどこからどうみても悪だし)彼らもスーパーマンを助けるようになる。シニカルな現実主義者たちが理想主義に導かれるというかたちになっている。

スーパーマンの胸の「S」のマークはクリプトン語で希望を意味する、なんてこととは関係なく、血よりも育ちが重要であり、反戦争、反移民差別などを行動によって体現することでスーパーマンは希望の象徴となる。物理的な強さではなくポジティブさと善なる心こそが強さの源だという描き方になっている。

ピュアなスーパーマンも、ちょっとシニカルなジャスティス・ギャングの面々も好きになってしまった。DCUのこれからが俄然楽しみになった。

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